タコピーの原罪の作品内外で男を惑わす魔性の美少女、しずかちゃんについて考察することで漫画における可愛さの嘘と本当について語るっピ

 まず基本的に漫画における美形とは「クラス一可愛い」「世界一の美女」みたいな肩書きや登場人物の評価によって決まるっピ。例えモブと同じ顔をしていようが設定上そうとされていればそうなるんだっピ

 これを使わないで読者にそのキャラクターは「美しい」「可愛い」「魔性」なのだと信じさせるには描写による「説得力」が要るっピ。これは純粋な作者の画力と表現力に頼るしかないから難易度が跳ね上がるっピ

 そんな縛りの中でしずかちゃんはタイザン5先生による美麗な絵とタコピーや東くんの狂いっぷりで「魔性の美少女」だと読者を説得することに成功したっピ

 しかし、タコピーの原罪11話。しずかちゃんパパと相対したことでその説得力は崩れ落ちたっピ



 しずかちゃんパパから見たしずかちゃんの姿

 そこに読者が見てきた可憐で儚げな美少女はおらず、フケと鼻水とヨダレまみれで虚な瞳をした汚い子供がいたっピ
 呪いや病気によって美形だったキャラクターが醜くなるという展開は日本神話の時代からあり珍しいものではないっピ
 でも作品内外で可愛いと思われていたキャラクターが実は醜くかったと判明する展開はなかなかないっピ

 理由は一つ、単純にメリットがないからだっピ

 人は基本的に可愛いものが好きだっピ。ストーリーに興味がなくても絵やキャラクターが可愛いから読むという読者も珍しくないし、可愛いキャラクターはそれだけでグッズなどの利益を生むっピ。
 例え可愛いと説得されたファン以外からはそう見えなくてもファンはこのキャラクターは可愛いという嘘に騙されて可愛いと思うことを楽しむのだっピ

 故にこれまで積み上げてきた可愛いしずかちゃんという説得力を、全て嘘だったと描いたタイザン5先生の描写は商業という視点から見たらある意味自殺行為なのだっピ
 美少女しずかちゃん目当てで読んでいた読者の脱落はもちろん東くんやタコピーがしずかちゃんを助けたいという動機の説得力がなくなるのだから
 それでもあえてしずかちゃんの心身の醜さを浮き彫りにしたのは、騙された読者を嘲笑うためではなくむしろ読者とキャラに対して誠実なんだと感じたっピ

 魔性の美少女などいなかった。いたのは身も心も汚れきった汚され尽くした子供だけ。
 回が進むごとにしずかちゃんの心の歪みが露わになるごとに彼女は救えない、救う必要がないという読者が増えていったっピ
 助けたいという動機の裏付けを担っていた美しささえも否定されればさらにそう思う読者は増える。

 それでもタコピーはしずかちゃんを救うことを諦めなかった。

 例えしずかちゃんの見た目の美しさや心の美しさが嘘だったとしても、あの日助けてもらった喜びは感じた美しさは助けたいという思いは本当だった。だから助けるという選択肢しかない。

 しずかちゃんの美しさが嘘だったとわかったことで、それでも救いたいと願うタコピーの愛は本当だったと示されたのである。

 そんなタコピーのヒロイズムでもイデオロギーでもない純粋な愛の行き着く先に何があるか最後まで見届けようっピ